dlitの殴り書き

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であることがわかった(わかってない)


 これはレポートや卒論なんかの指導・添削をしていると結構感じることがある。
 背後には色々な要因があるのだろうが、論文や本(入門書・概説書なども)の書き方をそのまま真似ているという場合もあるのでは、とここ一年ぐらいで考えるようになった。
 真似から入ることは悪いことではないと思うのだが、専門書や論文は事実の確認などから始まり厳密な検証プロセスなど色々な段階を経て「わかった」と書くということがしっかり理解されていない場合(たぶん)には、割と細かいところにも気が配れる人でもあっさり「わかった」と書いてしまうようなことが起こるという、なんだかギャップを感じる経験が何度かあった。
 授業では「専門書や論文には(大体の場合)うまくいったことについて必要なことのみ書いてあるのだけれど、その裏には多くの失敗や試行錯誤、書かれないけれども重要な手順がある」というようなことを話すのだけれど、これは実際自分がやってみないとなかなか実感できないことかもしれない。
 この辺りのことが分かってくると自分で分析することの楽しさや怖さが実感できて良いのではないかと思うのだけれど、身に付けてもらうのはなかなか簡単なことではないというのが最近の実感。