dlitの殴り書き

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ジェンダーもカテゴリーも自分の問題として考えたいなと

 この問題、「女性蔑視/差別」とは「感じない」「思わなかった」「言い過ぎでは」と言う(公言できる)人がいる(多い)からこそ、問題だと思ってる人たちは声を強くせざるをえないんじゃないだろうか。
 僕は最初この表紙を見た時は「え、大丈夫かな?」っていう小さな違和感があったぐらいだった。ふだんジェンダー・フェミニズム関連で参考にすることが多いCristoforouさんやfrrootsさんの意見が気になるなと思ったぐらいで、実際につぶやきを読みには行かなかったけど上のまとめを見たらやっぱりという感じ。
 中には不快感を覚えるジェンダー関連の問題もあるけど、今回の僕の違和感は感覚ではなく完全に知識から来ていた。やっぱり知識って大事だな、と。感覚や感情を共有できない問題に対してこそ(も)、こういう意見や批判を表明してくれる人たちというのは大事だと思う。中には受け止めるにはきつい・つらい言葉もあるけど。
 僕がジェンダー問題を気にしているのは、まず「理系文系」や「血液型」と一緒で、カテゴリーによって余計なところまでひとくくりにされてしまう・してしまう危うさがあるということ、それにあまり鈍感でいたくないという個人的な欲求がある。実際、「男だったら…」という言い方で割り当てられる役割には好きでないものもある。もう一つは利己的な話なんだろうけど、そのうち(たとえば社会構造が変化したりして)自分の身に降りかかったらいやだな、というのがある。自分が女性の立場になったとして「これは自分だったら嫌だな」と思うことは結構あって、自分が嫌だからできるだけしたくない。
 こういうふうに考えていても、気づかないことはたくさんある。でも気づかない(気づかなかった)ことを無理に正当化することはしたくない。