学会誌の表紙であれだけもめてたのに、こちらはスルーという人が多い。本当に安易に差別を口にする人は信用できない。 / “なぜ仲井真知事は記者会見で激昂したのか? | 佐藤優” http://t.co/GJ38IML7xC
— かな○かな (@kana0355) 2013, 12月 30
確かに、と思ったので少し関係しそうなことを書いてみる。といっても問題を論じるというよりはほとんど思い出話。
当事者ではないから?
差別問題だけでなく沖縄のことについてwebで継続的に意見表明や情報提供を続けている人というと、(僕は)nagonaguさんやzu2さんが思い浮かぶし、歴史問題や基地問題に関してはその時その時で言及する人が結構いるが、広範に、多くの人が言及する事態になったトピックというのはあまり多くは思い浮かばない。
たぶんそれには色んな要因があるんだろうけれど、その一つには当事者意識というか、自分に関係している話だという意識が薄いというのが関係しているんじゃないかと思うことがある。で、それがさらにどこに起因しているかというと単に「知らない」というのがあるのではないかと。
思い出
大学一年生の時に、同級生の何人かが沖縄がアメリカの統治下にあったということを知らなくてものすごく驚いた覚えがある。それまでずっと沖縄で暮らしていたので当たり前のこと過ぎたというのも大きかったと思うのだけれど、別に勉強が苦手・嫌いというような人たちではなかったので印象に強く残っている。
それ以来、機会があれば沖縄のことは色々話すようにしている。どう思っているかの前に、知ってもらえていないというのは寂しい、と思ったからだ。もちろんこれはお互い様で、他の県・地域について色々教えてもらうことも多い。
以前アメリカにいた頃に、沖縄出身だというと「アメリカが色々悪いことをして申し訳ない」とすぐに謝る現地の人もいれば、「沖縄にアメリカの基地ってあったんだっけ」というような反応の現地の人もいた(年齢とかにあまり関係なく)。どちらの経験でも、沖縄のことを話す機会があって良かったと思う。
思い出2
ちなみに、僕の父方は父が小さい頃に奄美大島から沖縄に移り住んでいて(だから「田川」という姓なんですね)、
のようなことも色々体験しているそうだ。ただこれは僕が成人してから色々話してもらえるようになった印象がある。結構衝撃的なエピソードもあった。
僕自身は生まれた頃から沖縄だし若い世代ということもあってそれほど差別があったという意識は無かったのだけれど、小学生の頃にルーツの半分は奄美だという話をしたら「ないちゃー」とか「ハーフ」とか言われて悲しかった思い出がある。
一緒に育ってきた同じ地域の友達に、自分がコントロールできない生まれのことで「違ったもの」として見られるという体験は今思うと貴重だけれど幼心にはなかなかショックだった。同じようなことを自分はしたくない、というのが今でも自分の核としてあるのかもしれない。
おわりに
せっかく沖縄に生まれたので、日常で色々沖縄のことを知ってもらえる機会は活かしていきたいと思う。知ることだけで解決する問題はなかなかないだろうけれど、まず知らないと話が始まらないということはありそうな気がしている。
言語に関して言うと、方言札の話や、方言札が無くなっても「方言は恥ずかしいもので必死に話さないようにした」というような生のエピソードを親の世代から色々聞いているので、言語学や日本語を勉強している人には知っておいてほしいと思って授業や研究者の集まりで話すこともある。
実は本館の方で沖縄のこういう話について書こうとしたこともあったのだけれど、(重い話だったからか)何度か途中でやめてしまった。僕にとっては当事者過ぎるトピックなのかもしれない。