年長者が率先して苦労を背負わない組織は先が見えとるわ…
— Kow KURODA (@kow_k) 2014, 1月 20
そういうことあるよなあ、とは思うんだけれど、それがもし「伝統」「習慣」のようなものだとしたら、「若い頃にあれだけ苦労した分、年長者になったら開放されたい」と思う人が出てくるのは仕方ない気がする。
そうすると、それを変えるには若い頃も年長者になっても苦労する人が必要になってくるんだろうけれど、そういう人をどうやって確保するのか。そこに明確なインセンティブを設定せず、英雄の出現を待ちつつ先送りしていくのが組織としては問題なんじゃないかな、とか。
せっかくそういう英雄候補が出てきたとしても、伝統とか習慣とか呼ばれているもの(他のもっといかつい名前の場合もあるかも)を変えるってのはなかなか簡単じゃないですよね。これは体育会にいた時とか、院生の頃とか、色んな種類の組織で体験しているのでなかなか難しい問題なんだと思う。
そこをうまくいくように組織やシステムを動かせる力もリーダーシップって呼ばれて尊重されても良いんじゃないかと、トップダウン・カリスマ的なリーダー話を見ると考えてしまうのです。