dlitの殴り書き

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現代において研究を「知的遊戯」と言われると…

高度な論文でなければ注目されず、不勉強と冷笑されもするだろうが、難解な言葉で自己陶酔する世界観が学術界に広がっていないだろうか。
 本来、研究は人、社会に役立つべきものと思うが、ネット上の論文には個人的な知的遊戯に浸っている物が少なからず散見される。 
STAP細胞をめぐる一連の大騒動 - 西日本新聞

 もしこれが「研究者は知的遊戯に興じていてよい」というような状況・社会の中での発言だったらそれほど研究者からの反発はないかもしれない(そのかわりこの記事の言いたいこともいまいちわからなくなるかも)。
 たとえば、「お前らがやってることは知的遊戯だけどたまに役に立つことあるし、もしかしたら将来必要になるかもしれないから全力で遊んでて」って感じの了解があったら、研究者も胸をはって「生涯をかけて知的遊戯に興じてます」と言えるんじゃないかな。
 ただ、現代はそうではないですよね。
 「よくわからんことで遊んでないで、(いつかは)役に立つ研究をしなさい」「で、何やってるかについてもちゃんと説明してな」って言われているような状況で、研究者集団も(実際どれぐらいそれができてるかは置いておいて)それに応えようとするってのがある程度了解事項になっていると思う。とんがってる人でも「自分がやってるのは知的遊戯だ!(でも役にも立つよ)」って感じじゃないと厳しい気が。
 そんな状況で「お前らのやってることはよくわからんが遊びだ」って言われたらそりゃ反感も買っちゃいますよ。わからないんだったら「わからない」ってところまで書けば良いわけですし。むしろプロの研究者が素人が前提知識無しでわかるようなものを「論文」として量産してたらそっちの方が嫌な感じしないかな。
 つか「ネット上の論文」って、リポジトリ辺りから持ってきたのかもしれないけど、単純に「ネットでゲットできる論文」ってことなら国際誌・国内紙のトップジャーナルも色々入っちゃうんじゃないかな。なんとなく「ネット上にあるものは信用ならん」てなニュアンスも込めてるのかなーと邪推しちゃいました。

ちょっと真面目な話

 理工系でも珍しくはないだろうけど、人文社会系の用語って日常の語彙に近かったり、そこから内容が想像しやすかったり、研究対象が(一見)身近だったりするんで、より「ただ言葉だけいじくってる」感が出ちゃうところはあるのかなと思う。専門用語にはきちんとした定義だったり、膨大な研究史だったり、他の概念やモデル・理論との絡みがあるってことを大学で味わえるようにしないとまずいよな、と大学教育に関わる身としては怒ってばかりもいられないっす。個人ブログじゃなくて新聞に出ちゃうわけですし(まあweb上には個人ブログ?って記事も珍しくはありませんが)。
 中には「なんでこんなの作ったの…」って専門用語がないわけではないですし「なんでこの論文こんなイミフなの…」ってのもありますけどね。
 あともしホントに研究上の意義もなく空虚な言葉遊びに過ぎないような論文があったら、それを指摘したり批判したり、高く評価しないようなことを専門家がやるってのも大事なんだろうと思います。逆に、「役に立つかどうか」が(すぐには)わからないけれど重要な研究の必要性をきちんと言い続けることも。