下記のツイートを読んで書きたくなったので、「大学」「企業」について最近考えていることを少し。
教養のない人は、実学のことを帳簿つけたり、旋盤できたり、営業できたりする練習のことだと思っているし、虚学のことを観念論的な話をすることだと思っている。大学でちゃんと学ばなかったからこんな愚にもつかないことを考えるんだ。大学が提供する学問は役に立つ。役にたてられないのは本人の怠慢。
— オッカム (@oxomckoe) 2015, 1月 26
僕の定義では、実学と言うのは時代が変化しても依然として役に立つ学問で、虚学というのは時代が変われば役に立たなくなる学門。虚学の最たるものは職業教育。製品はすぐに古びるし企業自体が数年で消えてしまう。こんなものは大学を出て管理職に就く人々が学ぶべきことじゃない。
— オッカム (@oxomckoe) 2015, 1月 26
「実学」「教養」辺りは人によって指すものがけっこう違うことがあるので、こういうふうに各人がある程度内容を決めて話をするのは大事なことだと思います。
この辺りの議論で最近気になっているのは、大学教員とかが「企業の人」をひとくくりに論じているのを見かけること(そういうざっくりした話でも構わない文脈もあるかもしれませんが)。これによって、大学教育や大学での研究に理解のある人まで変に敵に回してしまうことがあるんじゃないかという危惧があります。
「大学も色々だよ」「国立大学/私立大学って言っても」「研究も基礎から応用まで幅広いよ」「人文系/理工系/自然科学の中にも色々…」というようなことを理解してもらいたい、尊重してもらいたいというのであれば、「企業(の人)」にも色々あるということを尊重する、配慮する必要があるんじゃないでしょうか。これは実は専門の違う研究分野どうしについても感じることがあるんですけどね。
もちろん、尊重したつもりが誤解を含んでて、とか、色々うまくいかないこともあるでしょうけれど。
本当は「大学(の人)」「企業(の人)」みたいに分けちゃう(そして対立させる)のも雑な気もするんですけどね。