いわゆる大学の初年次教育(ライティング中心)も卒論の指導も担当している者としてちょっと思ったこと。
卒論に耐え得る日本語ライティング能力がついていれば、中身の指導だけすれば良いので楽ですけれども…提出直前なら結論・考察の妥当性と出典の明確化や剽窃の有無のチェックをすれば済むはずのところが、悲しいかな日本語の文章表現の修正がほぼ例外なく必要で、その部分だけ分業というのも難しい。 https://t.co/enh5k2eitW
— 増田の准教授 (@ProfMasuda) 2016年12月19日
早い話が初年次教育が機能していない。
— 増田の准教授 (@ProfMasuda) 2016年12月19日
おそくらこの方が具体的に思い描いているのは、初年次教育でよく取り上げられるような、非常に基礎的な文章作成の技術・知識が身に付いていないということなのだろうけれど、一般的に初年次教育だけで(ある程度)卒業論文作成に関する基本的な文章作成の技術・知識を身に付けるのは非常に難しいというのが私の実感です。
理由は主に以下の2つです。
- いわゆる初年次教育のカリキュラムだけではトレーニング量(時間)が足りない
- 各専門分野における書き方で書けるようになるには初年次教育以降も継続的に技術・知識をアップデートし続けなければならない
1については、中にはかなり時間をかける大学もあるのでしょうけれど、通年でやるとしても週1, 2コマの授業ではトレーニングの時間(学習した技術・知識を使って実際に文章を書く時間)が足りないのではないかと思います。自分の授業では授業以外での様々な書く場面でも授業でやったことを使ってトレーニングしてほしいということを言いますが、それを継続的に支援する仕組みを持っている組織はあまりなく、学生個人の意識や努力次第ということが珍しくないのではないでしょうか。
2については、これも計量的な調査等をしたわけではないのですが、文章作成に関することについても、専門分野・研究領域による違い・偏りというのは色々なところにあるように思います(文章の構成・展開方法とか、語彙・言い回し・文体等々)。初年次教育からかなり特定の専門に特化した文章作成法のトレーニングをするならその辺りの問題はある程度カバーできるでしょうけれど、ある程度一般的なアカデミックライティングのトレーニングから始めるなら、そこから特定の専門的な文章への段階的な橋渡しが必要だと感じます。
両者の問題に対応するのに必要なのは、おそらく継続だと思います。初年次教育から概論、専門の講義、演習、ゼミ、卒論、…といった各段階において書くことに関するトレーニングを支援する仕組みが必要なのでは、というのがここ数年の実感です。実際には、初年次教育の次の具体的なステップがいきなり卒論(ゼミ)、運が良ければ演習の授業や研究室・ゼミで教員・上級生による支援がある、というぐらいのことが少なくないのではないでしょうか。ただ、じゃあ実際にはどうカリキュラムをデザインするのと言われれば、特に良いアイディアがあるわけではありません。
大学教員も全体的に忙しくなって卒論の指導にじっくり時間を割くのもなかなか難しくなってきているところが多いと思いますので、うまく各段階にトレーニングの機会を分散配置できるとよいのではないかと思いますが、実際どう実現すれば良いのでしょうね。
追記(2016/12/20)
という話をしている側から、一つの実践例を目にしましたのでメモ。最初から(ある程度)専門が絞り込まれている場合、こういうことができますね。
史学系だと一般的かもしれないが、一年の終わりに原稿用紙10枚程度の共通のレポートがあり、二年次の終わりでそれが30枚に伸びる。それ踏まえて卒論だから、書く手順や調べ方、文章構成はその前に徹底して指導された。
— nasastar (@nasastar) 2016年12月19日