はじめに
このような話題は定期的にというか常にあちこちで話題になっていて食傷気味だという人もいるでしょうけれど,誰かが一定量マジレスしておくというのも重要だと思うので書いておきます。
ちなみに,ご存じの方もいるでしょうけれど私は大学の利害関係者(大学教員)ですので,その分差し引いて読んで下さい。
そういえばこの手の話題についったーで言及していたことがありました。
「自分にとって大学の授業は意味がなかった」から「みんなにとって大学の授業は意味がない」という一般化を導くのは簡単ではない、というのは大学で直接/間接的に学べる重要なことの一つだと思うけど大学で勉強してなかったのならしかたない
— Takumi TAGAWA (@dlit) December 1, 2016
対象を具体的に考えてみよう
このように,「良い」とか「役に立たない」とか「必要ない」などの述語が用いられた場合は,「誰にとって」かというのを具体的に考えてみることをおすすめします。
今回のケースでは,「私にとって」であれば「そんな人もいるでしょうね」という反応が多くなるでしょうし,「ほとんどの人にとって」であれば「それは言いすぎなんじゃないの」と感じる人もいるでしょう。「社会にとって」となれば,制度設計等の話題につながっていくかもしれません。
書き手にもその辺りしっかり書いてとお願いしたいところなのですが,意図的にぼかす人もいますし,伝言ゲームというか引用や言及が繰り返されるうちに曖昧になっていくこともありますので,読む方で意識するというのも1つの方法だと思います。
あと,こういう話題は程度問題であることも多いので,「どれぐらい」役に立たないのかというようなことを具体的に考えてみるのも良いのではないでしょうか。
関連エントリ
今回は大学教育に携わる側から具体的な反論を書いたわけではありませんが,いろんな関係者が具体的なことを書くのが重要だと思っているので,たまにこういう話題を取り上げています。