dlitの殴り書き

現在更新していません。もうひとつのブログ(https://dlit.hatenadiary.com/)を見てみてください

結果が出せれば承認欲求で研究者になっても良いんじゃないかなあ

 「結果」「承認欲求」の中身を吟味しないと空回っちゃう話のような気がとてもするけど以下印象論。

もしあなたがドクター進学して研究者を目指そうと考えているならば、どんなに貧しくなっても、どんなに惨めになっても、研究を愛し、自らの決断を悔やまないようにしてほしい。
承認欲求で研究者にはなれません - eddgar's field

 個人的な心がけとしては自由だし、それぐらい厳しく見積もってないと研究を続けていくのは難しいというのは感覚的にはなんかわかる気もするんだけど(分野が違うから結構ずれてるんだろうけど)、「現状はそれぐらい厳しい」って話じゃなくて「研究(者)ってのはそういうもんだ」論にしちゃうと業界の先細りにつながりそうな気がする。下手するとこういう考え方が研究界のブラック化を下支えしてたりしないかな。
 「どんなに厳しい状況でもこの営みを愛せる者だけが生き残れる」業界が健全で継続的になってる例って思い浮かばない。ジリ貧でなんとか現状維持、長期的には先細りって予感。
 研究者の卵への叱咤激励ももちろん必要な場面はあるだろうけど、(緩やかにでも)結果をある程度出せればきちんとある程度の評価が受けられる業界にしていくのが現在研究者である僕たちのやるべきことなんでは。
 ただ「大学教員」「教育者」「(職業)研究者」「職業人」に求められるものはまた別の話かもしれない。この辺り混ざっちゃう(混ぜざるを得ない?)のが研究(者)論のややこしいところなのかも。