ついったーにも書いたんだけど、部活動のみならず、スポーツのこわさの1つに大きな感動を引き起こすということがあると思う。特に危険なのが、「感動」や「勝利」によって暴力、ハラスメント、理不尽なこと、などなどが(一部)正当化されたりうやむやにされてしまうこと。
@gax88 部活動を廃止するとか0か100の議論では前に進まないと思います。廃止しなくても改善できることはたくさんあるはずだし、感動だって生み出せるはず。
— ゆうけん (@yutakenta64) 2015, 7月 13
これは自分自身でも競技スポーツをやる中で何度も体験して実感したことで、あの「感動」の力というのはホントにすごい。何というか、そういう状態になってしまうと(なかなか)抗えない。何度か泣いたこともある(この僕が)。あと気持ちいい。
人によるだろうけど、自分が選手の場合も指導者的立場の場合も感動の強さという点ではあまり変わらない気がする。そのせいか、僕は今でもスポーツ観戦そのものだけでなく、スポーツものの映画にも弱い。
で、これも何度も体験したのだが、感動によって結果オーライというかここまでの過程には色々あったけど結局は良かったね的な判断をしてしまうことがある(個人でも組織でも)。もちろん全部水に流されるわけではなくて、反省・修正がなされることもあるのだけれど。
スポーツを大事にしたいと思うなら、感動を味わいたいと思うなら、感動はこわいものだということを、大人が忘れてはいけないのではないだろうか。特に、少なくとも教員とか指導者と呼ばれる人たちは。