dlitの殴り書き

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金谷武洋氏の言説と今後どう付き合っていこうかなあ(専門的に見ると問題のある本や言説にどう立ち向かうか)

 machida77さんのエントリを読んで考えたことを断片的に書く。d.hatena.ne.jp
 紹介して下さったのは嬉しいのだけれど、「よりによって専門的知識が世間一般に伝わっていないという話題で同書を肯定的に紹介」というエピソードにはやはり気持ちが暗くなってしまう。言語(学)についてはプロの人文系の人でも変な言説に引っかかってるのを見るのはそこまで珍しくないので、驚きはしないけれども気が重くはある。
 ブコメにも書いたように金谷氏の著作・主張についてはけっこう一般的に行き渡ってしまったかという印象がある。検索などしなくても(というかむしろ積極的に調べることを避けている)肯定的に言及している発言はTwitterやブログなどで定期的に見かける。
 実は、言語系の学会の発表などでも文献リストに上がっているのを見ないわけではない。これは予想できるところで、日本語学に関する知識が(まだ)それほどなく、日本語教育や国語教育に情熱がある人はむしろけっこう共感してしまうのではないかと思う。ただ専門の方では誰かから突っ込みが入るだろうからそこまで心配はしていない。
 一方、金谷氏の主張は過剰な形での「日本(語)は素晴らしい」系の言説との相性が良いように見える(本人の主張にもそういうニュアンスが入っていることがある)ので、一般的には、これからさらにカジュアルに引かれることは増えても、忘れられていくことはないのではないかというのが個人的な印象である。「知識人」とか他分野の研究者による肯定的な言及も増えていくのではないかな。
参考:d.hatena.ne.jp
 あと何らかの教科の問題を通して学校教育に問題アリと見ている人が金谷氏を肯定的に評価するという事態に何度か遭遇して、少し心配している。自分のエントリでも書いたが、学校文法の問題点は過去に色々な指摘があるので金谷氏が勇気を持って切り込んだというような見方はちょっと違うだろう。あと、学校文法とその運用に問題があることと、金谷氏の主張が妥当かどうかはできれば分けて考えてほしいのだが、専門家でない人にそれを要求するのは無理なのかもしれない。
 では何ができるかというと、いちおうブログに色々書いたけれども、もっと詳しく丁寧に書き直す必要があるのだろう。でも気力も時間も全く足りない。「他に(一般向けの)良い本がないからでしょ」という意見をもらうことがけっこうあるので、金谷氏のことだけを考えてのことではないけれど、最近のことば関係のエントリではできるだけ読書案内を付けることにはしている。たとえば下記のエントリとか。d.hatena.ne.jp
他にも、そういうエントリではタイトルに「読書案内」というのを入れてあるので読んでもらえると嬉しい。まだ2, 3というところだけど、今後もできるだけ継続したい。
 あと、「文法研究って実際にはこうやってやります」という感じのイントロみたいなエントリを書いてもいいのかもと前から思っているのだけれど、これもやはりなかなか筆が進まない(誰か…)。
 これも何度か検討したり他の方と話したりしたことだけど、たとえば学会誌の書評を書くというようなやり方はちょっと難しいと考えている。なぜかというと、少なくとも僕の身近な学会誌では、一般的に、(ボロクソに書かれることももちろんあるけれど)書評の対象になること自体が「良い評価」として見られるからである。
 今後については悲観的な予想しかないし、特に妙案があるわけではないのだけれど、ここまで関わってしまったことだし、しばらくは何らかの形で付き合っていこうとは思う。ただお仕事は増えるばかりなので、割ける時間はさらに減っていくだろう。こちらについても悲観的な予想しかない。