dlitの殴り書き

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聖職者であることを要求するのはやめにしませんか(教員に幸あれ)

 こういうことを自身も教員である私が書くのはあまり効果的ではないよなあとは思うのですが(大学教員だから気楽に言えるんだよと思われるリスクもあり)。
 さて、下記の記事、これまでも似たような実体験を耳にしたことはあったので内容に驚くということではないのですが、ちょうど今週授業を持っている教育研究科(国語教育コース)の送別会があって、やはり多くの卒業生が教職に就く(戻る)という話を聞いた直後だったのでいつもより読んで暗い気持ちになりました。
anond.hatelabo.jp
 それで下記の応答なんですが、
anond.hatelabo.jp
体験談・アドバイスとしてはこういうのを書いてくれる人がいるのはありがたいことだと思います。特に、「子どもたちが、日々親や大人たちから同じように罵られ、脅かされていることに気付いた。」という認識を書いてくれたことは素晴らしいですね。ただ、こういう記事を踏まえた上で「でもやっぱり大変なら辞めた方がいい」という考え方が基本になった方がいいんじゃないでしょうか。そして、できれば「やっぱりもう一度チャレンジしたい」となったときにやりやすい環境が整備されないかなあ。
 教員の中にはほんとに「聖職者ってこういうことか」と思いたくなるような人がいて、それは讃えられてよいと思うのですが、全(あるいはほとんどの)教員に聖職者であることを求めるのは、教育、教員全体に対する余計なプレッシャーになるのではないかと感じることがあります。でき(てい)る人を賞賛することも無理してる人の正当化につながる可能性もあるわけで、難しいことだと思いますけどね。
 あとブコメなんかで「大変な人が辞めないと変わっていかない」という反応があったのですが、教育・教員に関しては、劣悪な環境にいる人がばんばん辞めていってもあまり制度自体の根本的な改善にはつながらなそう、あるいは、民間企業等に比べてその進み方が非常にゆっくりになる(のであまりそれを待ってもいられない)のではないかという気がするのですが、教育制度や教育行政に詳しい方、どうなんでしょうか。