dlitの殴り書き

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ロボットも子供(母語話者)も「読む」のは難しい、じゃあ子供(非母語話者)は?

 難しそうですよね。
 下記の二つの記事を読んで、以前書いた問題について知ってもらう良い機会だと思ったので簡単に紹介しておきます。
bylines.news.yahoo.co.jp
blog.tinect.jp
 以前書いた記事というのはこれです。
d.hatena.ne.jp
以下、重要なところを抜粋(それほど情報は多くありませんが、方言などについても書きましたので元記事もどうぞ)。
 状況はこんなところで、

ある四国の小学校でいわゆる外国人児童だけを集めた補講のような授業(こういうのも取り出し授業と言うのでしょうか)を見学させてもらう機会がありました。その小学校は南米からの移住者(目的は四国の企業・工場で働くため)の子どもをけっこう引き受けているということでした。
 そのクラスの担当は小学校の教員なんですが、ある程度日本語教育の知識もある(大学で授業を受けている)人です。これだけでも小学校としては良い環境なのかもしれませんが、一つのクラスに非母語話者の児童を低学年から高学年まで集めて一人で授業をしなければならず、また内容も基本的には他の授業の補講が目的ということもあってか、通常の国語や算数の教科書を用いていました。日本語教育、あるいは何らかの言語教育の経験がある方なら、これがいかに難しく大変なクラスなのか想像できるのではないかと思います。
移住者と(小学校での)日本語教育と方言と - 思索の海

今回の話に関係していそうなのは次の箇所です。

クラスの中で、小学校高学年の算数の文章題に挑戦して苦戦している児童がいました。難しいなと思ったのは、算数そのものに苦戦している可能性もあるし、そもそも文章題の日本語に苦戦している可能性もあるということです。小学校の算数の文章題とはいえ、意味をきちんと取るには大人でもじっくり読まなければならないものもあると思うのですがどうでしょうか。これは国語の教科書を用いているシーンでも気になったのですが、たとえば母語話者向けの教科書だと日本語教育で難しいとされているオノマトペもけっこう早い段階から出てきますし、教科書独特の言い回しもあります。児童の日本語学習歴もまちまちのようでしたが、母語話者向けの教科書を用いて日本語を第二言語として学ぶのも難しいし、いわゆる第二言語としての日本語教育を受けても今度は日本語の教科書と国語や算数の教科書のギャップを埋めるのがなかなか大変なのではないかと思います。
移住者と(小学校での)日本語教育と方言と - 思索の海

ぎーもさんからいただいたコメントも重要なので、特に関係するところを引用しておきます。

ご指摘の問題は,学校教育では日本語の語彙・文法項目の積み上げのコントロールがそれほど強くないことの他に,いわゆる「学習言語」と「生活言語」の違いについて教える側が気が付いていない,という側面もあるのではないかと思います。(ただし,昔書いたのですが,これは日本語を母語とする児童にとってもハードルとなりえます。)
移住者と(小学校での)日本語教育と方言と - 思索の海

 非母語話者に対する学校教育は、これからより多くの地域で問題として認識されていくのではないかと思います(もちろん、国語教育などの分野では意識されているようです)。
 こういう問題が身近でない方も、ことばに関することが問題になった時に、少しでもその存在を思い出してもらえると良いなと思います。

おまけ

 大学では文章表現系の授業や論文の報告を行う授業(演習)や卒業論文を担当していますが、「読む」ことの難しさは折に触れ実感します。自分自身、うまくいかない(いかなかった)なあと思うことも珍しくありません。
 「読む」ことに限らず、ことばに関する多くの技術(そしてそれを「教える」のも)は難しいものが多いというのが私の実感です。「難しい」という認識から、「でも重要だろ、なんでできないんだよ」ではなく、「その難しさとどう付き合っていこうか」という方向(ある程度あきらめるというようなのも含めて)で多くの方が考えてくれると嬉しいのですがどうでしょう。