記録用。
名護市長選は、現職で辺野古移設に反対する稲嶺氏が再選。きのうは、朝から辺野古近くの投票所で、一票を投じた有権者に声を聞きました。移設に賛成する人からも、反対する人からも出たのが「琉球処分」という言葉。明治政府が、琉球王国を琉球藩にし、最後は藩も解体して沖縄県にした出来事(続く
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
承前)琉球処分にあたっては、王国内は日本への帰属を良しとする派と清国に忠義を尽くすべきという派に二分されました。琉球側は、日本政府からの指示や命令に何度も再考を求めますが、最後は警察力と軍事力を背景にした政府に押し切られました。(続く
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
承前)そんな琉球処分という言葉が何度も出てくる中に、日本政府や、ひいては沖縄以外の日本への諦めや疑心をひしひしと感じました。取材していても「あんたは、ヤマトね?沖縄ね?」と確認されること数回。半分は名護の血ですよ、というと「それなら、わかるでしょう」と。(続く
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
承前)「どうせヤマトは押し切る」。だから、移設に賛成する人は「利益を引き出した方がいい」。反対する人は「意地を見せたい」。共通するのは「この悔しさがヤマトの人間にわかるか」。(続く
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
承前)ある人は言いました。イッター イルジルヤ チラヌカワドゥヤユル クルザーターヤ ナミティシラニ。あんたがたは色白だけど面の皮だけ 黒砂糖は舐めてわかる。もちろん黒砂糖は、沖縄の人のことのたとえ。「ヤマトは沖縄の人の優しさに甘えている」と。(続く
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
承前)金でうなづかせようという国の姿勢に批判も多かったです。「今の生活で困っていない」という人も少なくありませんでした。「この静かな暮らしは、金では買えない」という人も。(続く
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
承前)家族が自衛隊だけど、移設に反対という人も。「同じ基地でも、ルールを守らない米軍は、自衛隊とは違う。基地のある恩恵も、ある。でも、これ以上はいらない」。(続く
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
承前)こうしたさまざまな声が二万票近く積み上がりました。戦後日本の自由と繁栄の基礎は、力ではなく法が支配し、民主主義が存在したことだと信じています。日本が「国民」国家なのか、試されているのかもしれません。
— 岡田玄 Gen OKADA (@OkadaG) 2014, 1月 20
以前も書いたように、
奄美にもルーツがある自分としては「ウチナー」対「ヤマト」という図式を見ると色々複雑なところがある(もちろん沖縄の中でも色々あるんだというのはあるとして)。
今年で沖縄を出てから17年目になり、あと数年で関東で生活した時間の長さ>沖縄で生活した時間の長さ、になる。
関東にいるとどうしても沖縄の「空気」みたいなものは感じにくい。短期間の帰省で多少感じるところはないでもないけどあまり多くの人と話すわけでもないし。
だから何だ、ということがあるわけではないのだけれど、色々もやもやする。もやもやすることを記録しておくことにも意味はあるだろうか。意味があるないの問題ではないのかもしれないけれど。