dlitの殴り書き

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「ことば」から見て(も)おもしろいと思うラーメンズのおすすめコントをいくつか

注意

※ぼかして書いてますが、一言コメントがちょっとしたネタバレになっているものもあります。未見の方はご注意を。

はじめに

 下記の通り、YouTubeラーメンズ公式から多くのコントが見られるようになりましたので、こういうおすすめ集も書いておこうと思います。

ラーメンズ全17公演のうち、100本のコントが映像ソフト化されているのですが、本日2017年1月1日、全部YouTubeにアップしました。
なお、これによる広告収入は、日本赤十字社を通じ、各地での災害の復興に役立てていただきます。
小林賢太郎からのメッセージ | KENTARO KOBAYASHI WORKS | 小林賢太郎のしごと

 YouTubeラーメンズ公式はこちら。
www.youtube.com
 ことばの「音」を題材にした作品は「日本語学校」シリーズをはじめ、色々あってけっこうおすすめしている人も多いような印象がありますので、主に形態論・語彙論、文法、コミュニケーション(語用論)辺りから見ておもしろいというか個人的にすげーなーと思ったものをいくつか紹介します。
 いくつか授業で使おうかなと計画したものもあるのですが、一つ一つがコントにしては長いものが多いので、ちょっとした導入とかには意外と使いにくいんですよね(部分的に見せるのでもいいのかもしれませんが、ファンとしてはそれではもったいない気がして…)。

第9回公演『鯨』から「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」


ラーメンズ『鯨』より「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」
 なんだか会話がかみ合わない(コミュニケーションがうまくいかない)、という設定はラーメンズ以外のコントでも珍しくないと思いますが、かみあわないやりとりのたたみかけが気持ちいいです。

第12回公演『ATOM』から「アトムより」


ラーメンズ『ATOM』より「アトムより」
 これは形態論の観点から解説のようなものを書きました。
d.hatena.ne.jp
ATOM』は「新噺」もいいですね。

第13回公演『CLASSIC』から「受験」「バニーボーイ」


ラーメンズ『CLASSIC』より「受験」
 英語への色々な突っ込み。文法関係のとことかよく思いつくなあと。


ラーメンズ『CLASSIC』より「バニーボーイ」
 これも先日文法の観点から解説のようなものを書きました。
d.hatena.ne.jp
他にも文法、語用論から見ておもしろいやりとりが色々あります。

第14回公演『STUDY』から「ホコサキ」


ラーメンズ『STUDY』より「ホコサキ」
 これは形態論・語彙論のネタがたくさん。

第15回公演『ALICE』から「モーフィング」


ラーメンズ『ALICE』より「モーフィング」
 ことばの形(音)の類似性を用いたものとしては『TEXT』の「同音異義の交錯」が突き詰めた感ありますが、なんか似てるけど違う表現をうまくつなげるなあと。

第16回公演『TEXT』から「不透明な会話」&「条例」


ラーメンズ『TEXT』より「不透明な会話」
 「なんか会話がかみ合わない」ネタとしても面白いんですが、個人的には否定表現のくだりとか好きです。


ラーメンズ『TEXT』より「条例」
 上述の「不透明な会話」を見たらこれもセットでみるしかない、ということで。

おわりに

 公演の各コントは同公演の他のコント(時には他の公演のコント)が伏線になっている…というかつながりがあることもありますので、公演は通して見るとまた違ったおもしろさに出会えることもあります。気に入ったら、ぜひぜんぶ見てみて下さい。

初年次教育(レポートの書き方)から卒論へ、はなかなか難しい

 いわゆる大学の初年次教育(ライティング中心)も卒論の指導も担当している者としてちょっと思ったこと。



 おそくらこの方が具体的に思い描いているのは、初年次教育でよく取り上げられるような、非常に基礎的な文章作成の技術・知識が身に付いていないということなのだろうけれど、一般的に初年次教育だけで(ある程度)卒業論文作成に関する基本的な文章作成の技術・知識を身に付けるのは非常に難しいというのが私の実感です。
 理由は主に以下の2つです。

  1. いわゆる初年次教育のカリキュラムだけではトレーニング量(時間)が足りない
  2. 各専門分野における書き方で書けるようになるには初年次教育以降も継続的に技術・知識をアップデートし続けなければならない

 1については、中にはかなり時間をかける大学もあるのでしょうけれど、通年でやるとしても週1, 2コマの授業ではトレーニングの時間(学習した技術・知識を使って実際に文章を書く時間)が足りないのではないかと思います。自分の授業では授業以外での様々な書く場面でも授業でやったことを使ってトレーニングしてほしいということを言いますが、それを継続的に支援する仕組みを持っている組織はあまりなく、学生個人の意識や努力次第ということが珍しくないのではないでしょうか。
 2については、これも計量的な調査等をしたわけではないのですが、文章作成に関することについても、専門分野・研究領域による違い・偏りというのは色々なところにあるように思います(文章の構成・展開方法とか、語彙・言い回し・文体等々)。初年次教育からかなり特定の専門に特化した文章作成法のトレーニングをするならその辺りの問題はある程度カバーできるでしょうけれど、ある程度一般的なアカデミックライティングのトレーニングから始めるなら、そこから特定の専門的な文章への段階的な橋渡しが必要だと感じます。
 両者の問題に対応するのに必要なのは、おそらく継続だと思います。初年次教育から概論、専門の講義、演習、ゼミ、卒論、…といった各段階において書くことに関するトレーニングを支援する仕組みが必要なのでは、というのがここ数年の実感です。実際には、初年次教育の次の具体的なステップがいきなり卒論(ゼミ)、運が良ければ演習の授業や研究室・ゼミで教員・上級生による支援がある、というぐらいのことが少なくないのではないでしょうか。ただ、じゃあ実際にはどうカリキュラムをデザインするのと言われれば、特に良いアイディアがあるわけではありません。
 大学教員も全体的に忙しくなって卒論の指導にじっくり時間を割くのもなかなか難しくなってきているところが多いと思いますので、うまく各段階にトレーニングの機会を分散配置できるとよいのではないかと思いますが、実際どう実現すれば良いのでしょうね。

追記(2016/12/20)

 という話をしている側から、一つの実践例を目にしましたのでメモ。最初から(ある程度)専門が絞り込まれている場合、こういうことができますね。

ロボットも子供(母語話者)も「読む」のは難しい、じゃあ子供(非母語話者)は?

 難しそうですよね。
 下記の二つの記事を読んで、以前書いた問題について知ってもらう良い機会だと思ったので簡単に紹介しておきます。
bylines.news.yahoo.co.jp
blog.tinect.jp
 以前書いた記事というのはこれです。
d.hatena.ne.jp
以下、重要なところを抜粋(それほど情報は多くありませんが、方言などについても書きましたので元記事もどうぞ)。
 状況はこんなところで、

ある四国の小学校でいわゆる外国人児童だけを集めた補講のような授業(こういうのも取り出し授業と言うのでしょうか)を見学させてもらう機会がありました。その小学校は南米からの移住者(目的は四国の企業・工場で働くため)の子どもをけっこう引き受けているということでした。
 そのクラスの担当は小学校の教員なんですが、ある程度日本語教育の知識もある(大学で授業を受けている)人です。これだけでも小学校としては良い環境なのかもしれませんが、一つのクラスに非母語話者の児童を低学年から高学年まで集めて一人で授業をしなければならず、また内容も基本的には他の授業の補講が目的ということもあってか、通常の国語や算数の教科書を用いていました。日本語教育、あるいは何らかの言語教育の経験がある方なら、これがいかに難しく大変なクラスなのか想像できるのではないかと思います。
移住者と(小学校での)日本語教育と方言と - 思索の海

今回の話に関係していそうなのは次の箇所です。

クラスの中で、小学校高学年の算数の文章題に挑戦して苦戦している児童がいました。難しいなと思ったのは、算数そのものに苦戦している可能性もあるし、そもそも文章題の日本語に苦戦している可能性もあるということです。小学校の算数の文章題とはいえ、意味をきちんと取るには大人でもじっくり読まなければならないものもあると思うのですがどうでしょうか。これは国語の教科書を用いているシーンでも気になったのですが、たとえば母語話者向けの教科書だと日本語教育で難しいとされているオノマトペもけっこう早い段階から出てきますし、教科書独特の言い回しもあります。児童の日本語学習歴もまちまちのようでしたが、母語話者向けの教科書を用いて日本語を第二言語として学ぶのも難しいし、いわゆる第二言語としての日本語教育を受けても今度は日本語の教科書と国語や算数の教科書のギャップを埋めるのがなかなか大変なのではないかと思います。
移住者と(小学校での)日本語教育と方言と - 思索の海

ぎーもさんからいただいたコメントも重要なので、特に関係するところを引用しておきます。

ご指摘の問題は,学校教育では日本語の語彙・文法項目の積み上げのコントロールがそれほど強くないことの他に,いわゆる「学習言語」と「生活言語」の違いについて教える側が気が付いていない,という側面もあるのではないかと思います。(ただし,昔書いたのですが,これは日本語を母語とする児童にとってもハードルとなりえます。)
移住者と(小学校での)日本語教育と方言と - 思索の海

 非母語話者に対する学校教育は、これからより多くの地域で問題として認識されていくのではないかと思います(もちろん、国語教育などの分野では意識されているようです)。
 こういう問題が身近でない方も、ことばに関することが問題になった時に、少しでもその存在を思い出してもらえると良いなと思います。

おまけ

 大学では文章表現系の授業や論文の報告を行う授業(演習)や卒業論文を担当していますが、「読む」ことの難しさは折に触れ実感します。自分自身、うまくいかない(いかなかった)なあと思うことも珍しくありません。
 「読む」ことに限らず、ことばに関する多くの技術(そしてそれを「教える」のも)は難しいものが多いというのが私の実感です。「難しい」という認識から、「でも重要だろ、なんでできないんだよ」ではなく、「その難しさとどう付き合っていこうか」という方向(ある程度あきらめるというようなのも含めて)で多くの方が考えてくれると嬉しいのですがどうでしょう。