dlitの殴り書き

言語学とかの殴り書きでないものを読んでみたい方はもうひとつのブログ(https://dlit.hatenadiary.com/)もどうぞ

終電を逃したので歩いてみたおはなし

 下記の記事を読んで思い出したので書いてみます。単純な話なのですがかつてのつくば生活の記録にもなるなと思いましたので。

travel.spot-app.jp

常磐線の取手駅から荒川沖駅まで歩いた

 まだつくばエクスプレス(TX)がなかった学生の頃のお話です。

 なぜかその日は高速バスではなく常磐線で東京まで行ったのです。で,帰りに上野発の取手駅から先に行く常磐線の終電を逃してしまいました。そういえばこの頃は常磐線も上野が始発/終着駅ですね。

 それまでこういう形で終電を逃した場合は東京で始発まで時間をつぶしていたのですが,その日は荒川沖駅に車を置いたままなことが妙に気にかかって「取手駅行きはまだあるからとりあえず常磐線で取手駅まで行ってそこからなんとか帰れないか」と考えてしまいました。今思い返すとどう考えても駐車場代を1日分余計に払った方が良かったと思います。

 そこで取手駅まで行ってみたものの,思いの外まっくら…そこで私は思いつきました。

そうだ,荒川沖駅まで歩いてみよう

…酔っていなかったと思うのですが。道は6号線をずっと行けばなんとかなると,車で取手駅まで何度か来たことがある経験も変に背中を押していたような気がします。

 今Google Mapで取手駅から荒川沖駅まで徒歩で経路検索したら4時間7分(20km)と出てきました。荒川沖駅に着いたのは確かに早朝でした。

 何が一番つらかったかというと4, 5時間歩いたことより,国道を走るトラックの風でひたすら寒いということでした。春先でまだ肌寒さが残っている頃でしたからね。終電を逃して大きな街道沿いに歩いて帰る時はぜひ気をつけて下さい。

 つくばエクスプレスができた今はこんなこともあまりないのでしょうね。あの頃は東京に何かしにいく場合は1日がかりという感覚があったような記憶があります。いや,電車での移動が便利で気軽になったのでかえって終電を逃す人が増えたということがあったりするのでしょうか(私は東京に帰る終電を逃してつくばに泊まったこともあります)。ちなみにつくばエクスプレスの守谷駅にはつくば行きの終電を逃した人用のバスがあったりします。

 しかしこうやて振り返ってみるとつくづく自分の行動が謎です。

関連エントリ

dlit.hatenablog.com

少年は科学で,少女は魔法でたたかう

 下記の記事のはてブのコメントで複数指摘されている,少年は魔法というより科学やメカといった話についてはジェンダー論の方で言及がありますので,私が出会った記述を紹介しておきます。

anond.hatelabo.jp

『はじめてのジェンダー論』から

 私自身あまり専門というわけではないのですが,言語表現に見られるジェンダーイデオロギーとかに興味のあるゼミ生がけっこういまして,ジェンダー言語学やジェンダー研究についてもある程度文献を読みます。この加藤秀一(2017)『はじめてのジェンダー論』もその過程で知った本です。

はじめてのジェンダー論 (有斐閣ストゥディア)

はじめてのジェンダー論 (有斐閣ストゥディア)

 以下,「第7章 ジェンダーの彼方の国はどこにある メディアと教育」から関連する部分の引用です。

現代の男の子向け番組が伝統的な男らしさのイメージを反復していることがわかります。ただし戦いに使われる武器・兵器は,最先端の科学の成果ではありますが。
 一方,「女の子の国」の代表は,魔法を使える少女のヒロインが活躍する「魔法少女」ものです。物語の骨格としては,逆境に置かれたお姫様が王子様にめぐりあい,試練を超えて結婚にこぎ着けるという「お姫様もの」が主流で,最も有名なものはもちろん「シンデレラ」の物語でしょう。ただし1990年代に大ヒットしたアニメ『美少女戦士セーラームーン』以降のヒロインたちはもはやシンデレラのように受け身ではなく自ら敵と戦います。むしろ,科学技術で武装した「男の子の国」の住人との違いは,非科学的な魔法を駆使することでしょう
(加藤 (2007): 97-98,強調はdlit)

 ジェンダー論になじみのある方なら,男性と「科学」の結びつきについては思い当たるところがあるでしょう。

 このしばらく後に出てくる先行研究の紹介の内容も興味深いのでついでに引用しておきます。

母性やジェンダー役割を明らかに肯定的に描いたアニメを愛好する女の子たちを観察したところ,そこに出てくる赤ちゃんを「かわいい!」と言いながら,ままごと遊びをするときには誰もが子ども役をやりたがり,そうでなければ父親役が人気で,母親役をやりたがる子は一人もいなかったというのです。彼女たちは子どもなりに,メディアによって賛美されるものと現実の厳しさとの違いを認識しているのではないでしょうか。
(加藤 (2007): 99,一部文献情報を省略した)

そんなに単純な話でもない

 このような抜粋で紹介をすると「そんな単純な話なわけないだろう」「チェリーピッキングだ」みたいな反応がありそうです(特に最近のフェミニズムやジェンダー論への風当たりの強さを見ると)。確かにこの本は入門ということもあってかなり端的に書かれているところもあるのですが,この話についてはそんなに単純ではないという指摘もされています。

 また,一つの作品にはさまざまな面があり,必ずしも一つのジェンダー観だけでレッテルを貼ることはできません。(中略)日本の「魔法少女」アニメが世界中の女の子たちのこころをつかんだ最大の理由は,何より女の子が主体的に決断し,戦うということだったはずです。(中略)そうした新たな少女像・少年像を体験した子どもたちは,前の世代よりも,ジェンダーへのとらわれからちょっぴり自由になれているかもしれません。
(加藤 (2007): 99,傍点部分を太字とした)

 この章では他にも,webで定期的に話題になるジェンダーと色の関わり(ピンク問題)や,「将来なりたい職業」の性差などにも触れられています。

 ここでは略したものも多いのですが本全体を通して例もたくさん挙げられており,先行研究やデータもいろいろ具体的に紹介されていますので入門としてはおすすめの1冊ではないかと思います。専門の方,どうでしょうか。

「男らしさ」の強要についてちょっとだけ

 下記の記事で提案されている,その特徴が社会的に良く評価されているものについても「男らしさ」(の強要)をやめようというアイディアには基本的に賛成です。

billword.hatenablog.com

私は男性で自分自身の体験談もいろいろあるのですが,今までで一番困ったのは「男なら風俗行くよな」系のやつですかね。結局そこまで抵抗せずに行かずに済んでいるのでまだ助かっていますが,先輩に無理矢理連れて行かれるなんて話はまだまだあるんでしょうか。

 私が性別といった属性と「優しい」といった特徴を結びつける話に過敏なのは,この辺りの「体験としての嫌さ」が1つの大きな理由です。

「女らしさ」との地続き

 おそらくさんざん指摘されていることでしょうけれど,このような話で語られる「男らしさ」(ジェンダーロールと言って良いのでしょうか)には「女らしさ」と表裏一体,地続きであるものが少なくないと思います。「稼ぐ男は偉い」とセットになっているのは「家を守る女は偉い」辺りでしょうか。時々目にする「男だってつらい」系の記事に対して「そりゃ女に○○を押し付けてるとそうなるよな」という感想を抱くこともあります。

 社会から「男らしさ」の強要が減るのはもちろん望ましいですが,私自身はそれが女性に対する差別が解消される過程で達成されるという形でも良いと考えています(つまり優先度は相対的に低め)。結局一緒にやらなきゃって話になるかもしれないのですが。

 これまでにも関係することを何回か書いてきていますが,こう考えるようになったのは就職・労働,結婚,育児辺りを体験して(特に結婚,育児)女性というカテゴリーに当てはまるというだけで受ける様々な不利益を目の当たりにしたというのが大きいです。そしてそれに自分自身も荷担しているというのがつらい(たぶん気付いていないこともいろいろある)。

フェミニズムとの距離感

 私自身はそれほどフェミニズムについて詳しいわけではないのですが,こういう理由があって女性差別やフェミニズムの話は自分自身の問題とも地続きであるという実感が年々はっきりしてきています。こどもが大きくなるとまた新しい問題が出てくるのでしょうね。