dlitの殴り書き

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トイレの個室を使用中かどうか判断に困るデザイン(からまれた体験談)

この写真のようなトイレの個室のドアって日本でどれぐらい普及しているのでしょうか(この左側の部分を押して開けます)。

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使用中かどうかが分かりにくいトイレ(個室)のドア

キャプションにも書いてありますが,このドア,外から使用(施錠)中か見ただけでは分かりにくいと思います。

「使用中かどうかはノックすれば分かるじゃん」と思われるかもしれませんが,私,このタイプのドアをノックしてからまれた(すごまれた)ことがあるんですよね。

某施設のトイレがこのタイプで,少しだけ空いている隙間をのぞき込んでもどうも人がいるかどうか分からなかったのでノックしたら,しばらくして中から人がでてきて「使ってるかどうかは見れば分かるだろ」とかなり怖い感じで。その後ドアを見返してしばらく間があって,「見れば分かるだろ」ともう1回すごんで去って行きました。おそらくドアの鍵の辺りに何か表示があると思ったのではないでしょうか。

ちなみに,この手のドアは施錠していない場合はドアが自然に開く構造になっているようなので,ドアが閉まっていれば使用中だと判断しろということなのかもしれません。でも,複数個室があれば比べて分かるのかもしれませんが,その絡まれたトイレでは個室が1つしかなかったんですよ。

使用中でないトイレのドアは必ず(少し)開いていて,閉まっていれば必ず使用中,というやり方は分かりやすくていいなと昔から思っているのですが,私の知る限り日本はそれが徹底されている文化ではないので難しいですね(地域によってはそういうところもあるのでしょうか)。

ちなみに,この写真は私がすごまれた施設とは別のトイレのドアのものなので,少なくとも確実に2つ,日本の公共施設に存在しています。

とうとう最後の砦だったスマホもiPhoneにした

iPhone 8です。ドコモオンラインショップで注文してまだ到着はしていません。

自分個人のものとしてApple製品を使い始めたのは10年ぐらい前からで,最初の機器はiPod touchでした。それから自宅用のノートがMacBook Airになり,iPad miniを使い始め,研究室のデスクトップもiMacに,と少しずつ増えてきました。

それでも,メインのモバイルノートはWindows機,スマホはAndroidというのは意識的に継続してきたのですが,2017年にノートがMacBookになり,

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今回スマホもiPhoneにすることにしました(実は事情があって少しだけiPhone 6を使っていた時期もあったのですが)。サブ機としてWindowsのノートも使ってますし,Androidスマホも平行して使い続けますけど。

理由1:デバイス間の連携

自分で買う前から,院生の頃にやっていた留学生のバイトで使うコンピューターがMacでFileMakerで絵カードを管理したりとかしていたのでApple製品になじみはあったのですが,ここさいきんの統一を加速させた要因で一番大きいのはiPad Proを使うようになったことだと思います。

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とにかく授業に研究に便利なので,いきおいノートやデスクトップも連携できる方が良いとなってきます。実際,やっぱりその方が楽です。

Evernote, Dropbox, Todoist, ...といったように,どんな環境でも使えるサービスも今は多いですが,iCloudやApple製品のOSにしか対応してない良いアプリもあるんですよね(もちろんAndroidにしかない良いアプリというのもあるのですが)。最近だとQuiverがそうです(ブログの下書きもこれ)。

happenapps.com

あと,なんといってもアプリ版日本国語大辞典の存在が大きいですね。

理由2: 家族との共有

家族もApple製品ユーザーなので,ぜんぶ統一してしまった方が,たとえばカレンダーやリマインダーで共有がシンプルに使えて良いです(もちろんGoogleでもできるわけですが)。今はSmoothSync for Cloud CalendarとかOpenTasksなんかを使って,Android機でMacとカレンダーやリマインダーを同期していたりします。

理由3: カスタマイズする元気と時間がなくなった

個人的にはこれが一番大きいのですが,Androidスマホで一番気に入っていたのは,いろいろカスタマイズできるという点でした。TaskerとかKLWPとか。

でもさいきんいじる時間がぜんぜん取れないんですよね。Taskerでやりたいこともいまいちなかったり,できなかったり。より自由を求めてroot化するような元気もありません。

おわりに

ほんとはXperiaの次にGalaxy Noteを試してみたかったんですけどね。

今後発売されていくデバイスとか,生活環境の変化とかでまた方針が変わる可能性も十分ありますが,しばらくはこんな感じのラインナップでやってみようと思います。

出産・育児とうまくいかない体験を前提にするタイプの指導法

下記の記事を読んで,自分が出産前の体験イベントに参加したときのことを思い出したので少し体験談など。

anond.hatelabo.jp

といっても重りを付けるというものではなくて,沐浴を人形を使ってやってみようというものだった。

時間がなくて私を含め全員が体験することはできなかったのだけれど,手順の説明を聞いただけで(え,その作業をほんとに首のすわってない赤ちゃんでできるの…?)と思ったのを覚えている。実際,ある程度慣れてはいったけど沐浴の時はいつも緊張していたし,沐浴から一緒にお風呂に移行した時にだいぶほっとしたのも覚えている。緊張感はお風呂でもしばらく続くわけだけど…

教育の話

さて,上の記事ではうまくいかないことの体験を踏まえた指導法・教育について言及されていて教員としてはこちらも気になった(妊婦・育児の体験学習と学校教育がどれぐらい並行的に語れるかということについては考慮の余地があると思う)。ちょっと違う話かもしれないが,以前大学の授業で最初に受講生の現在の価値観を揺さぶるような強いショックを与えるようなやり方の是非が話題になったことがあったのを思い出した。

まだ大学で授業を持つようになって10年ぐらいなので単に技術がないからかもしれないが(そもそも適性がないというような話かもしれない),まず何かを試しにやってもらって,それがうまくいかないことを前提にした教育や指導というのは相当難しいと感じる。あと,仮にうまくいって「教育的効果」があったとして,それって倫理的に良いのかというようなことも考えてしまう。もちろん,何かやって結果的にうまくいかなかったということを踏まえた授業をすることはある。

おまけ

ところで,元の重りを付けるという体験学習のやり方については,どうしても話を提供する側に寄って考えてしまうからか,「もっとうまくできるはずなのにやり方が悪かった」とはなかなか簡単に言えないように思ってしまう。

たとえば,反応として「もっと重い重りにすれば」みたいなものもあるが,ケガの可能性が高まるので実際には採用しづらいんじゃないだろうか。VRがうまく使えるようになると解決できるんですかね。