dlitの殴り書き

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「非認知的能力」と保育園についてちょっとだけ

はじめに

 先日参加した保育参観・保護者懇談会で保育園側から「新学習指導要領で重視されている「非認知的能力」について勉強・取り組みを進めている」という話があったのが印象的だったところに,下記の記事を読んだので少し気になったことを書いておく。
blog.tinect.jp

文科省の言う非認知的能力

 文科省の言う非認知的能力とは,具体的には,たとえば下記の資料で「幼児教育」のところに次のような形で出てくる(pdf注意)。

具体的には,子供の発達や学びの連続性を踏まえ,また,幼児期において,探究心や思考力,表現力等に加えて,感情や行動のコントロール,粘り強さ等のいわゆる非認知的能力を育むことがその後の学びと関わる重要な点であると指摘されていることを踏まえ,小学校の各教科等における教育の単純な前倒しにならないように留意しつつ,幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の明確化を図ることや,幼児教育にふさわしい評価の在り方を検討するなど,幼児教育の特性等に配慮しながらその内容の改善・充実が求められる。
平成27年11月20日教育課程部会幼児教育部会資料4 資質・能力等関係資料, p.20, 強調はdlit)

上記資料中にも名前が出てくるベネッセでは「IQ以外のチカラ」と紹介されている。
benesse.jp

評価法

 最初の記事への反応でも,下記のような評価の方法を気にするものがいくつか見られた。

そして1週間後、きちんと記録が埋まれば、幼稚園でメダルをもらえたり、表彰してもらえたりする。
子供に「スケジュール管理」をさせる幼稚園の教育に、けっこう驚いた話。 | Books&Apps

私自身は幼児教育も教育における評価法も専門ではないが,このような方法は子供にとってかなり強いモチベーション(プレッシャー)として機能するのではないだろうか。

 上記の文科省の資料でも「幼児教育にふさわしい評価の在り方」というフレーズが出てくるが,評価法や発達心理学等複数分野の専門家がしっかりと関与しないと,適切な評価の仕組み(評価しないという選択肢も含めて)を作るのはかなり難しいと思う。というかこの概念自体適切に取り扱えるのか。相当気をつけないと根性論みたいなものとかと簡単にくっついて変なものを量産してしまいそうな気が…

 私の観測範囲にある日本の(日本だけではないかもしれないが)教育関係の場で評価法の存在感というか重要性の認識がどうもそこまでではないような気がして,以前から気になっている。評価法の話は実は漢文教育に関する記事の下書きに書いていたことなので,そのうちまた言及するかもしれない。

おわりに

 個人的には,上記の文科省の「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の明確化を図る」とか,ベネッセのページにある「人生の成功に必要な」という表現はかなり気持ち悪い。というかなんか危険なフレーズな気がする(「教育」ってそんなもんでしょと言う人もいるかもしれないが)。

 幸い,子供が通っている保育園は「「良い子」という表現は大人にとっての都合の良い子を指すことが多いので使わない」みたいなことを言うところなので子供に対する強制に対してはけっこう信頼している。ただその後,「教育」「学習」が本格的になってくると,どうなっていくんだろうか。

 子供は大人の欲求や(言葉に出さない)要求にこちらが思っている以上に敏感なのではないかということは,忘れないようにしたい。
dlit.hatenablog.com

kindleで『数学文章作法』をはじめライティング関連がいくつか20%ポイント還元(1/18(木)まで)

 またまた期限直前で気付きました。値引きではなくポイント還元だし20%だしで紹介するかどうか迷ったのですが,良い本がいくつか出ていたのでいちおう書いておきます。

※購入の際は今一度値段・付与されるポイントを確認することをおすすめします。

ライティング関連

 私の日本語ライティングの授業でもおすすめとして紹介する3冊。

レポートの組み立て方 (ちくま学芸文庫)

レポートの組み立て方 (ちくま学芸文庫)

なぜか『数学文章作法 基礎編』のkindle版だけ持っていなかったので買いました(あとは紙・kindle版両方購入済み)。
 他のおすすめについては下記など参照。
d.hatena.ne.jp

言語・日本語関連

 金田一春彦大野晋の著書がいくつか対象になっていますが,私としては,特におすすめというものはありません。
 言語・日本語関連でこれはいいかもと思ったものは下記のものなのですが,

言葉をおぼえるしくみ ――母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)

言葉をおぼえるしくみ ――母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)

これは私自身未読ですので,まず読んでみます。

そのほか

 個人的には,学部生の頃にはまった思い入れのある『クワイン』を買ってしまいそうです。

クワイン (平凡社ライブラリー683)

クワイン (平凡社ライブラリー683)

うまくできないのは「やる気/緊張感がない」から?

はじめに

 下書きしてる間に落ち着いたので公開はやめておこうと思ったけど,下記の記事にいらっときたのでやっぱり書いておく。

林芳正文部科学相は(中略)、大学入試センター試験で試験監督だった大阪大教授がいびきをかいたことについて「(中略)。緊張感をもって入試業務に取り組むよう、厳しく指導をした」と述べた
入試ミスの次は居眠り、阪大に文科相苦言 「大変遺憾」:朝日新聞デジタル

精神論?

 「緊張感をもって」というのはまあこういう時の定型句のようなものだとは思うが,このタイプの苦言というか咎め方には昔から引っかかっている。
 つまり,何かを失敗した,うまくパフォーマンスができなかった時に,「やる気がない」「緊張感がない」という言い方をすることである。
 お前はテレパスか。
 小学校高学年から大学生までずっと競技テニスをやっていたが,一番つらかった叱責がこの「やる気/緊張感あるのか」タイプだった。技術的な欠陥を指摘される方が何倍もましである。
 確かに,「やる気」がないことがパフォーマンスにネガティブな影響を与えることはあるし,ある程度振る舞いから推測することも場合によっては不可能ではないかもしれない。しかし,パフォーマンスに問題があったことから「やる気がなかった」ことを推測するのは一般的に容易ではなく*1,気軽にやっていいことではないし,あまり生産的な指摘にならないことが多いというのが私の実感である。
 類似表現に「集中してない」があるが,「集中する」には技術的な側面もあるので,場合によっては上記の表現よりましかもしれない。

体育会系的?

 「やる気」についての指摘は,下記のブコメにも散見される。
b.hatena.ne.jp
うまくパフォーマンスできなかった時に,「やる気あるのか」などと言うのは,一般的には「体育会的」とされる反応の1つだと思うがどうだろうか。
 たまに書いているが,大学の体育会系の部にも所属したことがあり,現在は研究者をやっている私の持論として「体育会的とされる特徴の多くは,実は様々なところに顔を見せるものであり,スポーツと結びついたものが「体育会的」と呼ばれる」というものがある(体験談はそれなりにあるが,それほど根拠があるわけではない)。こういう精神論的なものについてもそうだと感じることが多い。
 スポーツをやるとむしろ「やる気」なんかではどうにもならない領域が(たくさん)あるってことを痛感させられると思うんですけどね*2。ただそういうことを言うのが好きな指導者とかがいるってのも事実ではあります。

おわりに

 いらっとして書いたのであまりまとまりがない。
 このタイプの指摘はやめて,できるだけシステムとか仕組みとかの話をした方が良いのではないだろうか。

*1:比較すると,「緊張感」の方が「やる気」よりは外から判断できることが多いということはあるかもしれない

*2:確かに,気合いでなんとかしちゃってるように見えるタイプのプレーヤーってのもいるんだけど。