dlitの殴り書き

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「学会(の会員)」に関する事情や感覚の違い

はじめに

 下記の記事に出てくる,学会の会員数を研究者数の目安にしているところがちょっと気になったので,具体的な話を少し書いておく。

たとえば、日本シェイクスピア協会512名、日本ゲーテ協会350名、日本カント協会290名。文系300学部、平均教員総数77名(助教・助手を含む)の中に、かならず各1名以上のシェイクスピアゲーテとカントの専門研究者がいる計算。
日本に文系学部が必要か? - INSIGHT NOW!プロフェッショナル

 学会に所属するメンバーの構成や割合が,どの分野でもある程度似通っていれば,学会に所属しているかどうかや会員数をなんらかの目安にしたり比較したりということが可能だろう。
 しかし,もし研究分野や学会によっていろいろ個別の事情が異なるということがあれば,少なくとも単純な比較に使うのは慎重になった方が良いだろう。
 以下書くのは私の知っている事例であるが,次のついーとなども参考になる。

学会の会員はぜんぶ研究者か

 その分野のコアな研究者ではないが学会には参加しているということがある。この割合が多ければ,学会の会員数から研究者や大学教員の数を推し量るのは難しくなるだろう。
 たとえば,私の専門は日本語を対象とした言語学的研究(形態論,文法)で,英語を対象にした研究発表も論文も今のところ無いが,日本英語学会の会員である。
 冷やかしで入っているとかそういうわけではなく,学会誌に書評を書いたこともあるし,
d.hatena.ne.jp
ワークショップの企画・発表をしたこともある。学会に行ってつたない英語で質問したりとかもしている。
 これは私が分析に用いている理論(生成文法,分散形態論)が主な要因であるが,説明はめんどうなのでここでは割愛。
 一方で,私が「英語学」の分野のアカデミックポストに就くことは全く想像できない(そもそも英語がダメダメである)。そういう点では私はやはり「日本語」の人だと認識されていると思う(ちょっと怪しいところもあるが)。
 逆に,主戦場は「英語学」だが日本語文法学会など,日本語系の学会の会員になっている人というのも複数人知っている。
 また,割合はわからないが,日本語学会や英語学会だと,大学だけでなく高校等の国語,英語の教員が会員になっている場合もある。英語学会なら日本語の他にもドイツ語等他の言語が専門の研究者が参加していることもあるだろう。
 私はあまり関わりがないが,教育系の学会であれば現職の教員,工学系であれば企業に所属している人が会員ということも多いだろうから,学会の会員数から大学に所属している研究者数を推し量るということができるのは,あってもかなり限られた分野に絞られるのではないかという気がする。

みんなが所属している学会はあるか

 関連して書いておいた方がいいかなと思ったのは,その研究分野に,「○○学の研究者なら必ず所属している学会」があるかどうかということだ。
 少なくとも言語学について言うと,日本言語学会はそのような学会ではないように見える。つまり,日本語学会や英語学会には所属しているが,日本言語学会には所属していないという言語学系の研究者は珍しくない。
 じゃあ日本語の研究をしている者がみんな日本語学会に所属しているかというと,そういうわけでもない。この辺り,いろいろ歴史的な経緯も絡んでくるようである。
 余談だが,ここ数年,これは他分野の研究者から見て分かりにくいという点においてよくないのではないかと考えるようになった。「○○学の研究者に会うにはとりあえずこの学会に行ってみるとよい」というのがないのは分野外の人にとってけっこう高い障壁になってしまうのではないだろうか。

おわりに

 単に事例の紹介に終わってしまったが,おそらく「人文系」「理工系」の中で見ても,「学会」の位置付けや会員の構成等はいろいろ違うのではないだろうか。
 だから,私も言語学系の分野の事情を元に哲学や文学といった分野のことに判断を下すことには慎重になりたいと思っている(推測することはある)。

関連するかもしれない記事

d.hatena.ne.jp

「非認知的能力」と保育園についてちょっとだけ

はじめに

 先日参加した保育参観・保護者懇談会で保育園側から「新学習指導要領で重視されている「非認知的能力」について勉強・取り組みを進めている」という話があったのが印象的だったところに,下記の記事を読んだので少し気になったことを書いておく。
blog.tinect.jp

文科省の言う非認知的能力

 文科省の言う非認知的能力とは,具体的には,たとえば下記の資料で「幼児教育」のところに次のような形で出てくる(pdf注意)。

具体的には,子供の発達や学びの連続性を踏まえ,また,幼児期において,探究心や思考力,表現力等に加えて,感情や行動のコントロール,粘り強さ等のいわゆる非認知的能力を育むことがその後の学びと関わる重要な点であると指摘されていることを踏まえ,小学校の各教科等における教育の単純な前倒しにならないように留意しつつ,幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の明確化を図ることや,幼児教育にふさわしい評価の在り方を検討するなど,幼児教育の特性等に配慮しながらその内容の改善・充実が求められる。
平成27年11月20日教育課程部会幼児教育部会資料4 資質・能力等関係資料, p.20, 強調はdlit)

上記資料中にも名前が出てくるベネッセでは「IQ以外のチカラ」と紹介されている。
benesse.jp

評価法

 最初の記事への反応でも,下記のような評価の方法を気にするものがいくつか見られた。

そして1週間後、きちんと記録が埋まれば、幼稚園でメダルをもらえたり、表彰してもらえたりする。
子供に「スケジュール管理」をさせる幼稚園の教育に、けっこう驚いた話。 | Books&Apps

私自身は幼児教育も教育における評価法も専門ではないが,このような方法は子供にとってかなり強いモチベーション(プレッシャー)として機能するのではないだろうか。

 上記の文科省の資料でも「幼児教育にふさわしい評価の在り方」というフレーズが出てくるが,評価法や発達心理学等複数分野の専門家がしっかりと関与しないと,適切な評価の仕組み(評価しないという選択肢も含めて)を作るのはかなり難しいと思う。というかこの概念自体適切に取り扱えるのか。相当気をつけないと根性論みたいなものとかと簡単にくっついて変なものを量産してしまいそうな気が…

 私の観測範囲にある日本の(日本だけではないかもしれないが)教育関係の場で評価法の存在感というか重要性の認識がどうもそこまでではないような気がして,以前から気になっている。評価法の話は実は漢文教育に関する記事の下書きに書いていたことなので,そのうちまた言及するかもしれない。

おわりに

 個人的には,上記の文科省の「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の明確化を図る」とか,ベネッセのページにある「人生の成功に必要な」という表現はかなり気持ち悪い。というかなんか危険なフレーズな気がする(「教育」ってそんなもんでしょと言う人もいるかもしれないが)。

 幸い,子供が通っている保育園は「「良い子」という表現は大人にとっての都合の良い子を指すことが多いので使わない」みたいなことを言うところなので子供に対する強制に対してはけっこう信頼している。ただその後,「教育」「学習」が本格的になってくると,どうなっていくんだろうか。

 子供は大人の欲求や(言葉に出さない)要求にこちらが思っている以上に敏感なのではないかということは,忘れないようにしたい。
dlit.hatenablog.com

kindleで『数学文章作法』をはじめライティング関連がいくつか20%ポイント還元(1/18(木)まで)

 またまた期限直前で気付きました。値引きではなくポイント還元だし20%だしで紹介するかどうか迷ったのですが,良い本がいくつか出ていたのでいちおう書いておきます。

※購入の際は今一度値段・付与されるポイントを確認することをおすすめします。

ライティング関連

 私の日本語ライティングの授業でもおすすめとして紹介する3冊。

レポートの組み立て方 (ちくま学芸文庫)

レポートの組み立て方 (ちくま学芸文庫)

なぜか『数学文章作法 基礎編』のkindle版だけ持っていなかったので買いました(あとは紙・kindle版両方購入済み)。
 他のおすすめについては下記など参照。
d.hatena.ne.jp

言語・日本語関連

 金田一春彦大野晋の著書がいくつか対象になっていますが,私としては,特におすすめというものはありません。
 言語・日本語関連でこれはいいかもと思ったものは下記のものなのですが,

言葉をおぼえるしくみ ――母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)

言葉をおぼえるしくみ ――母語から外国語まで (ちくま学芸文庫)

これは私自身未読ですので,まず読んでみます。

そのほか

 個人的には,学部生の頃にはまった思い入れのある『クワイン』を買ってしまいそうです。

クワイン (平凡社ライブラリー683)

クワイン (平凡社ライブラリー683)