はじめに
下記の発言によると,「人文学はサイエンスではない」ということですが,他の人文系の研究に関わっている皆さん,それで良いですか?
※この記事では「サイエンス(的)」が何/どういうことを指すのかという点については踏み込みませんが,私が気にしているのは上記発言の直後にある「「新しいことを発見する」のではなく」という点です。
該当するのは以下のうち3つめのツイートですが,前後の文脈もはっておきます。
人文学って色々あるけどその本質があるとしたら「人類や社会の記憶を保持すること」やと思うねん。人間が記憶を喪失したらそのアイデンティティは変わってしまう。人類社会のアイデンティティの保持が人文学の機能です。人格とか変えてしまっても今の快楽を享受したい人が人文学を嫌うのはある意味当然
— 増田聡 (@smasuda) 2018年1月24日
オレがやってるような同時代的な現象の研究も、かつて考えられてきた問題系との関係の中にその現象を位置づけ、今生きている人々の注意を向け、次世代にその意味を残しておく作業という点で古典的なテクスト解釈と変わるところはありません。それを集団的に行うことで社会の記憶が形作られていく
— 増田聡 (@smasuda) 2018年1月24日
人文学はサイエンスではありません。「新しいことを発見する」のではなく、「古い記号を読みその意味を解釈する能力を次世代に継承する」のが人文学です。同じ「文系」でも社会科学とはその辺が違う。なので人文学における研究成果とは、人間が過去の記憶を励起する営みのようなものと考えています
— 増田聡 (@smasuda) 2018年1月24日
なので人文学にとって母語で読み解釈する能力は決定的に重要なのです。同じ論文ならば、日本語と英語で書かれてもサイエンス的には同等であるかもしれない。しかし人文学的には全く意味が異なります。古語を読む能力が社会から失われるとき、われわれはアイデンティティの一つを回復不可能な形で失う
— 増田聡 (@smasuda) 2018年1月24日
もちろんいうまでもなく、源氏物語と同様にシェークスピアやゲーテも日本語を母語とする社会のアイデンティティの重要な一部をなしています。新しい研究成果より「アイデンティティに関わる古い記号を読みその意味を解釈する能力」を次世代に継承することが人文学の仕事です
— 増田聡 (@smasuda) 2018年1月24日
言語学は困るかなあ
文脈を見るとある程度分からなくもないですが,「人文学って色々ある」と言いつつ,このように言い切ってしまえるのはすごいと思います。「人文学にはサイエンスとは異なる特徴があり,それが重要である」とかなら分かるのですが。「サイエンス」を「自然科学」の意味に限定したとしても,検討が必要な分野はあるんじゃないですかね。
私は言語学の研究者なので言語学について言うと,言語学の研究全体がすべてサイエンス的でないといけないとは思いませんが,「言語学はサイエンスではない」と言い切られると困る言語学の研究者は多いんじゃないかなあ。まあ時々愚痴っているように「言語学は(ホンモノの)人文学ではない」ということなら,納得できますしそれで研究分野としては困らないと思いますが。
おわりに
何か特定の考えや言説に対抗するための発言ではないかということも考えたのですが,それならこんなカバー範囲の広いざっくりした一般化にはしないか,「人文学の重要な特徴として,〜というものがある」という存在/所有表現にしてほしいなと思います。
以前も似たようなことを書きました。「事実」や「証拠」との向き合い方についても少し書いているので,興味のある方はどうぞ。
危機感の現れという側面があったとしても、「王道」の学問分野の方々には自分の分野をディフェンスしようとするあまり変な対立構造を生まないようにしてほしいなと思う。
人文系、ホンモノの学問、基礎/応用、みたいな話(言語学の研究者から見て) - dlitの殴り書き