dlitの殴り書き

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ムーがよくて江戸しぐさがいけない理由と批判の方に先に出会ってしまう問題




 確かに現在の江戸しぐさの大きな問題の一つとして公教育に食い込んでいるというのは外せない論点だと思うけど、たとえ公教育に入り込んでなかったとしても、歴史(学)に関わる人たちは「これはいけない」と考えるのではないかな(実際に批判したり行動するかどうかは別としても)。
 『ムー』がこういう問題でそこまで批判の対象にならないのは、いわゆるトンデモ系の媒体として一種の社会的地位を確固たるものにしているからだと思う。卑近な例で考えてみると、たとえば問題のある「日本語○○語起源説」が岩波の『科学』とか『現代思想』とかに載ったら問題だなと思うけど、『ムー』に載ったら、正面切って批判するという気はあまり起きない(もちろんどういうリアクションや影響があるかによる)。
 「○○がダメな理由」と「○○を批判する理由」は、時に重なることもあるけれど別々であってもよい、という点に注意が必要ではないかと感じることがある。
 なので、影響力みたいな観点で考えると、『ムー』に載ることはそれほど問題視しないけど(内容の怪しさで言えば大差ない)テレビのバラエティで紹介されることは批判するという方針もあって良い気がする。個人の優先順位としては、そこの線引きや基準は違っていても良いのではないか。もちろん、何か共通のリソースを使うとか、優先順位を付けなければならない場合は議論して調整すべきだとしても。

補足(追記(2014/09/23))

参考


批判の方に先に出会ってしまう問題

 ついでに江戸しぐさがらみでもう一つ。


これは「○○批判」のような場合によく見られる反応だと思う。こういう場合に、「なんだそれ、と眺めている(笑っている)内に/気付かないうちに広がって、やっかいなことになったものリスト」をさっと出せると良いと思うのだけれど、どなたか作りませんか(丸投げ)。あるいは、もうあるかな。