dlitの殴り書き

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苦労がなくなる分、別の苦労が発生することもあるのでは

 タイトルで言いたいことは言ってしまった感。下記のエントリを読んでふだんぼんやり感じていることを。元のエントリとは話がずれるかも。

自分と同じ苦労をしなくていい人を見るとキレる人々 - 狐の王国
 幸いにも、僕の周囲にはこういうことを直接言ってくる人はあまりいない(覚えてないだけかも)。確かにwebをふらふらしていると見かけるけど、ついったーとかで直接言われることはやっぱりあまりないかな。
 こういう話を見ると、授業でいつも話すコンピューターに関するスキルとか言語学コーパスの話を思い出す。
 どういうことを言っているかというと、人文系ではかつてはコンピューターに関する技術・知識というのは等しくみなが持っていなければというわけではなかったと思うのだけれど、「デジタル・ヒューマニティーズ (Digital Humatnities)(訳語が落ち着いてない気がするのであえてそのまま)」という言葉の浸透からもうかがえるように、どんな分野でもかなり必須の知識・技術になってきていると思う。たとえばそうしないと資料/史料(データベース)がうまく扱えないとか。
 言語学で言えば、いわゆるコーパスに関係する知識・技術も、僕が院生の頃より必須になってきていると感じる。で、どちらもそれほどの技術・知識がなくてもある程度扱えるように(システムやツール・サービスが)整備されたからこそ必須事項になりつつある、という側面があると思うのですよね(もちろん、それに関する新しい問題や、注意喚起も一緒に出てきている)。
 なので授業では、皆さんの世代(というか今の状況下で)は、便利なモノがたくさんあるけれど、その分「これぐらいは知っておいてね」って言われる知識・技術もその分出てきててなかなか大変よ、という話をするわけです*1
 というわけで、ある苦労がなくなると、その分別の苦労(難しくないから知ってて当然とされるものが増える)が出てくるということもあるのではないでしょうか。

追記(2015/01/18)

 書き忘れてた。上記で言う苦労とはまたちょっとずれるかもしれないんだけど、体育会でも似たような問題を体験したことがあって、何か理不尽なルールや慣習を下級生で体験した時、上級生になって部則を検討する立場になると、「自分たちはこれで苦労したからこの代でなくそう/終わらせよう」っていう意見と、「いや、自分たちも大丈夫だったし、伝統だし、残そう」という意見が出る。僕らの代はけっこう色々変えて、OBに小言を言われたようなこともあったかなあ。でもよく考えると(というかその後色々体験して実感したんですが)、体育会に限った話ではないんですよね…

*1:どちらも、もちろん一部で詳しい人たちはいたし、必須とされる領域もあったと思うんですけど、かつてはその人たちの方がある意味“特殊”扱いされてきたのではないかと。