dlitの殴り書き

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「○○による」という話をずっとしている気がする

 先日書いた下記の記事もそうなのだが,私の書く記事の2, 3割ぐらいは「結局,○○によるということ(が大事)」とまとめてしまえるのではないか,ということをここ最近考えています。よく取り上げているのは,「(研究)分野による」「所属による」「人による」辺りでしょうか。
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これまでに書いたもの

 おそらく原点はこの辺りの記事で(おお,10年前),
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理系文系論関係もそうですね。
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なんで書くか

 なんで書くかというと,私がそういうところが気になるからとしか言いようがないのですが,この種の話って何か具体的な話題が出てきたときに対抗言説のような形で出さないと分かりにくいということもあるのだと思います。
 つまり,いきなり「(研究)分野による」「所属による」「人による」という話をしても,おそらく大方の人は「そんなの当たり前じゃん」となるのではないでしょうか。でも,具体的な記事や議論を見ているとその視点が軽んじられていると感じられることはけっこうあって,そういうものに絡めて話をすると多くの人が読んでくれるのではないかと(賛同するかは別にして)。
 あと,「○○による」という話は具体例を出さないと説得力に欠けると思うのですが,そこで私が関わっている分野/領域の具体例を紹介できるという良い機会にもなっています。

続けるの?

 実は,理系文系,人文とその他,生成文法認知言語学みたいな話で不要/不毛な対立を作る,好むのはもう個人の性格によるとしか言えないのではないかというのがここ10年ぐらい考えて/書いてきての実感なのですが,私はわりと粘着質なので,まだしばらくは似たようなことを書くと思います。
 でも最近まじめな話が続いている気がするので,そろそろネタエントリも書きたいですね。いちおうちょっとアイディアはあるのですが。

「人文学はサイエンスではない」ということで良いですか?

はじめに

 下記の発言によると,「人文学はサイエンスではない」ということですが,他の人文系の研究に関わっている皆さん,それで良いですか?

※この記事では「サイエンス(的)」が何/どういうことを指すのかという点については踏み込みませんが,私が気にしているのは上記発言の直後にある「「新しいことを発見する」のではなく」という点です。

 該当するのは以下のうち3つめのツイートですが,前後の文脈もはっておきます。





言語学は困るかなあ

 文脈を見るとある程度分からなくもないですが,「人文学って色々ある」と言いつつ,このように言い切ってしまえるのはすごいと思います。「人文学にはサイエンスとは異なる特徴があり,それが重要である」とかなら分かるのですが。「サイエンス」を「自然科学」の意味に限定したとしても,検討が必要な分野はあるんじゃないですかね。
 私は言語学の研究者なので言語学について言うと,言語学の研究全体がすべてサイエンス的でないといけないとは思いませんが,「言語学はサイエンスではない」と言い切られると困る言語学の研究者は多いんじゃないかなあ。まあ時々愚痴っているように「言語学は(ホンモノの)人文学ではない」ということなら,納得できますしそれで研究分野としては困らないと思いますが。

おわりに

 何か特定の考えや言説に対抗するための発言ではないかということも考えたのですが,それならこんなカバー範囲の広いざっくりした一般化にはしないか,「人文学の重要な特徴として,〜というものがある」という存在/所有表現にしてほしいなと思います。
 以前も似たようなことを書きました。「事実」や「証拠」との向き合い方についても少し書いているので,興味のある方はどうぞ。

危機感の現れという側面があったとしても、「王道」の学問分野の方々には自分の分野をディフェンスしようとするあまり変な対立構造を生まないようにしてほしいなと思う。
人文系、ホンモノの学問、基礎/応用、みたいな話(言語学の研究者から見て) - dlitの殴り書き

「学会(の会員)」に関する事情や感覚の違い

はじめに

 下記の記事に出てくる,学会の会員数を研究者数の目安にしているところがちょっと気になったので,具体的な話を少し書いておく。

たとえば、日本シェイクスピア協会512名、日本ゲーテ協会350名、日本カント協会290名。文系300学部、平均教員総数77名(助教・助手を含む)の中に、かならず各1名以上のシェイクスピアゲーテとカントの専門研究者がいる計算。
日本に文系学部が必要か? - INSIGHT NOW!プロフェッショナル

 学会に所属するメンバーの構成や割合が,どの分野でもある程度似通っていれば,学会に所属しているかどうかや会員数をなんらかの目安にしたり比較したりということが可能だろう。
 しかし,もし研究分野や学会によっていろいろ個別の事情が異なるということがあれば,少なくとも単純な比較に使うのは慎重になった方が良いだろう。
 以下書くのは私の知っている事例であるが,次のついーとなども参考になる。

学会の会員はぜんぶ研究者か

 その分野のコアな研究者ではないが学会には参加しているということがある。この割合が多ければ,学会の会員数から研究者や大学教員の数を推し量るのは難しくなるだろう。
 たとえば,私の専門は日本語を対象とした言語学的研究(形態論,文法)で,英語を対象にした研究発表も論文も今のところ無いが,日本英語学会の会員である。
 冷やかしで入っているとかそういうわけではなく,学会誌に書評を書いたこともあるし,
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ワークショップの企画・発表をしたこともある。学会に行ってつたない英語で質問したりとかもしている。
 これは私が分析に用いている理論(生成文法,分散形態論)が主な要因であるが,説明はめんどうなのでここでは割愛。
 一方で,私が「英語学」の分野のアカデミックポストに就くことは全く想像できない(そもそも英語がダメダメである)。そういう点では私はやはり「日本語」の人だと認識されていると思う(ちょっと怪しいところもあるが)。
 逆に,主戦場は「英語学」だが日本語文法学会など,日本語系の学会の会員になっている人というのも複数人知っている。
 また,割合はわからないが,日本語学会や英語学会だと,大学だけでなく高校等の国語,英語の教員が会員になっている場合もある。英語学会なら日本語の他にもドイツ語等他の言語が専門の研究者が参加していることもあるだろう。
 私はあまり関わりがないが,教育系の学会であれば現職の教員,工学系であれば企業に所属している人が会員ということも多いだろうから,学会の会員数から大学に所属している研究者数を推し量るということができるのは,あってもかなり限られた分野に絞られるのではないかという気がする。

みんなが所属している学会はあるか

 関連して書いておいた方がいいかなと思ったのは,その研究分野に,「○○学の研究者なら必ず所属している学会」があるかどうかということだ。
 少なくとも言語学について言うと,日本言語学会はそのような学会ではないように見える。つまり,日本語学会や英語学会には所属しているが,日本言語学会には所属していないという言語学系の研究者は珍しくない。
 じゃあ日本語の研究をしている者がみんな日本語学会に所属しているかというと,そういうわけでもない。この辺り,いろいろ歴史的な経緯も絡んでくるようである。
 余談だが,ここ数年,これは他分野の研究者から見て分かりにくいという点においてよくないのではないかと考えるようになった。「○○学の研究者に会うにはとりあえずこの学会に行ってみるとよい」というのがないのは分野外の人にとってけっこう高い障壁になってしまうのではないだろうか。

おわりに

 単に事例の紹介に終わってしまったが,おそらく「人文系」「理工系」の中で見ても,「学会」の位置付けや会員の構成等はいろいろ違うのではないだろうか。
 だから,私も言語学系の分野の事情を元に哲学や文学といった分野のことに判断を下すことには慎重になりたいと思っている(推測することはある)。

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