ただ実は書かれている方に異論、というか、言い訳をしたい気持ちもある。現在の中学校の教科書を読むにつけ驚くのは、十数年前からずいぶん変わって、評論を事実と意見とにわけるところから始まり「論理的な文章を書く」ことが意図されているつくりになってきていること。
— うだ2 (@asinouda2) 2014年9月23日
論理的な「書く」技術については、横文字を駆使したうえで多くの私立中高が売り文句にしている。実態はどうだかしらないが。(私立は教員に流動性がないので、ともすると、教員に新しいことを押しつけても旧態依然の文学教育派が反発して停滞しがち。売り文句ばかりの学校には一定の注意が必要)
— うだ2 (@asinouda2) 2014年9月24日
公立は、指導要領に沿うことを一応は求められるので、「国語表現」が大きく打ち出されて以降、論理的な「書く」技術について、外野が思う以上には取り組んでいるだろう。旧態依然型の私立よりは公立の方が全然先を行っているはずだ。
— うだ2 (@asinouda2) 2014年9月24日
高校の国語の教科書を見ていても、言語技術に関する項目・分量はかなり増えたなという印象がある。
※追記(2014/09/24)
指導要領が「話すこと・聞くこと」を重視するように変化したという趣旨の説明が『中学校若手国語教師の指導テキスト』(明治図書)にあって、話し言葉優先にシフトしたのかと思っていた。
はてなブックマーク - machida77のブックマーク / 2014年9月24日各項目の細かなところは覚えていないのだけれど、確かに言語技術といっても、話し言葉に関する部分が結構多かったかもしれない。確認する必要があるけれど、そうであるなら、下記にあるようにライティングに関する教育経験を持つ学生がまだそれほど多くないということとも整合する。
大学の学部一年生にこれまでのライティング教育の経験をきいてみると、僕が授業ですすめるようなライティング関係の本をすでに学校で読んだという学生もいるし、中には本格的なレポートの作成経験がある者もいる。実際、知り合いの国語教員で、ライティング教育に力を入れているとか、学校単位でそういう取り組みをしているという話も聞く。
ただ、それが全体でどれぐらいの割合に達しているかというと、まだこれから、というところがあるのかもしれない*1。上で書いたような学生が30人のクラス中で10人を超えたことはまだ無い(忘れているという可能性もあるかもだけど)。教育に何をどれだけ入れるのかというのは難しい問題だと思うけれど、期待しています。
個人的に感じている問題は、下記のエントリでもおまけとして書いたのだけれど、
そもそも日本語の文章作成法(特にアカデミック/テクニカルライティング)があまり固まって(明示的に体系化されて)おらず、英語のライティング技術で補っているところが多いのではないかという点。もちろん、良い点はばんばん採り入れて良いと思う。ただ、大学や私立の学校ではそういうことにもどんどんチャレンジできるけど、公立の学校ではなかなかそこまで思い切れないのかもしれない。
英語のライティング技術・教育がこれほど整備されている要因には、非ネイティブにとっても必要性が高いとか色々な要因があると思うので、日本語に同じ水準を要求するのは難しいかもしれないけれど、今後整備が進めば良いなと思う。たとえば、大学で使用されているアカデミックライティング/スキルの教科書もかなり増えたと思うのだけれど、そこでどんな項目が扱われているか、どのような傾向があるか調べるとか。そろそろそういうまとめもできる時期に来ているような気がする。誰か…
僕は国語教育が専門ではないので、webでも専門の方から生の情報発信がされると良いなと思うのだけれど、(国語教育なんか特に)「少数者が矢面に立って疲れちゃう」問題(下記エントリ参照)があると思うので、あまり強くも要請できなくて悩ましいところ。
*1:たとえば、教科書には載っているけれど、既存の項目に比べたらまだ指導法や指導書が充実していなくて、授業のスケジュールが遅れている場合にスキップされるというような可能性もありそう。